なぜなぜ分析の弱点 -それでもまだ対処療法になる

なぜなぜ分析のような因果関係を掘り下げる取組みは賛成だ。
しかしなぜを繰り返してもなお対策が対処療法になる可能性はないだろうか。

「なぜ~となったのか」という問い掛けは、「~となったのはダメなこと」という認識を抱かせる。
「ではどうすればいいのか」という結論を聞かれると「~とならないようにするにはどうするか」という対処的思考に流れ易い。

同じように「なぜ~したのか」という問い掛けは、「~したのはダメなこと」という認識を抱かせ、
「ではどうすればしなくなるのか」という結論を聞かれると「~しないようにするにはどうするか」という対処的思考に流れ易くなる。

これを次のようにできないだろうか。

「なぜ~となったのか」という問い掛けには、「~となるべくしてなったのではないか」という認識を持つ。
「ではどうすればいいのか」という結論を聞かれたら「~となるべくしてなった仕組みが裏にあるのではないか」というシステム思考をし
「仕組みに変化を起こすにはどこに働きかければいいのか」という結論を考える。

同じように「なぜ~したのか」という問い掛けには、「~してしまう状況があったのではないか」という認識を持つ。
「ではどうすればしなくなるのか」という結論を聞かれたら「~してしまうような仕組みが裏にあるのではないか」というシステム思考をし「仕組みに変化を起こすにはどこに働きかければいいのか」という結論を考える。

このようになぜなぜ分析してもなお対処療法になってしまう可能性に対して、システム思考という薬があるのでは無いかという提案であった。

大抵は対処療法で症状が落ち着くのだろうが、意外と全然関係なさそうな働きかけで解決することもあるはずといつも思っている。

コメント